修学旅行博物館

思い出の修学旅行

修学旅行専用電車

■修学旅行専用電車「ひので号」 (1959年)

昭和34年(1959年)に登場した、東京都中学校連合の計画輸送による修学旅行専用車両。
※写真資料提供:交通博物館(現:鉄道博物館)

■修学旅行専用電車「なかよし号」

※写真資料提供:交通博物館(現:鉄道博物館) ※写真資料提供:交通博物館(現:鉄道博物館)

中国地区の小学校修学旅行で活躍した修学旅行電車。
167系修学旅行用電車「なかよし号」前頭部(実物大複製)

修学旅行専用列車について

明治時代の修学旅行は、徒歩旅行が主流で、宿舎には寺院や学校が当てられた。いわば軍隊式の行軍の形態が多かった。
 
その後は鉄道を利用し、旅館に泊まる形をとるようになった。第二次大戦中の中断はあったが、学習指導要領の特別活動の中に学校行事として位置づけられ、今日に至っている。
 
世界に類例のない日本の修学旅行(百余年の歴史がある)を支えてきたものは、大量の人員を輸送する運輸機関(鉄道、船舶、バス等)であり、旅館であった。
最近では、これらに加えて航空機、ホテル、民宿なども利用するようになった。
しかし、現在でも主流は鉄道と旅館となっている。
 
修学旅行は、同時に大勢の児童生徒を、安全・迅速・低廉に輸送する交通機関を必要とする。
そのため、明治以来鉄道が不可欠の輸送機関となっている。学旅行臨時列車は、戦前から小学生の伊勢参りを始め、各地の国鉄・私鉄で運転された。東京の小学校などは計画輸送も行われ、運賃は大幅に割引されていた。
 
戦後間もなく修学旅行が復活し、旅行業者の企画する東京~日光間の日光臨、東京~京都間の関西臨など、いわゆる「引き回し臨時列車」が次々と誕生した。さらに、同日・同区間利用の学校が同乗する「集約臨時列車」の運転が行われた。
 
その運行のねらいは、定期列車に修学旅行生が乗り一般の旅行客に迷惑をかけないためであった。当時の鉄道は車両、スピードともに決して良い環境とはいえなかった。
 
昭和34年、東京都中学校連合の「ひので号」、京阪神三市中学校連合の「きぼう号」が誕生した。これが計画輸送の修学旅行専用の車両を新造した最初である。
 
この修学旅行専用電車は、海側6人、山側4人のボックスで、飲料水タンクを搭載し、トイレなども完備した画期的な設備を持っていた。 スピードは特急並みで、東海道本線を往路昼行、復路夜行のパターンで、春、夏、秋にかけてフル運転を行った。
 
続いて東海三県中学校連合の「こまどり号」、近鉄では小学校連合の「あおぞら号」、東海道本線には関東中学校連合の「わかくさ号」、近畿地区中学校連合の「わかば号」、山陽本線の電化に伴って、中国地区の「わこうど号(高校)」、「ゆうじょう号(中学)」、「なかよし号(小学)」に加えて、九州中学校連合の気動車「とびうめ号」、東北中学校連合の「おもいで号」、さらに関西汽船では、修学旅行専用船「わかば丸」「ふたば丸」等、各地で修学旅行専用の車両や船が昭和40年代前半にかけて続々と誕生した。
しかし、新幹線の利用を機に、専用車両、専用船は次々にその姿を消していった。
 
現在まで存続しているのは、近畿・東海地区小学生の伊勢方面修学旅行専用電車として、平成元年秋に登場した近鉄の「あおぞらⅡ世号」のみで、愛称やユニークな専用車両は いずれもその役目を終えて引退した。
 
(財団法人全国修学旅行研究協会発刊「修学旅行総覧-新しい修学旅行-」より抜粋)

修学旅行のしおり

実際に使用された修学旅行の冊子です。皆様からのご提供をお願いしております。
※全てPDFファイルで容量は()内に記載。約4頁ごとに分けて掲載。

修学旅行の記事(会報誌等)

■資料提供: 東京都竹早高等学校 同窓会【篁会】様の同窓会報(2011年版22号)

大正時代から7泊8日(行先は三重・奈良・京都・大阪・兵庫)の旅行を実施。
昭和15年5月に行った「朝鮮・関西旅行」(12泊13日)は、行程表も掲載されている。
実際に「朝鮮・関西旅行」に行かれた方のインタビューも掲載。

【篁会】表紙 【篁会】表紙

特集:110年の歴史をひもとく -調べてびっくり!!修学旅行- 特集:110年の歴史をひもとく -調べてびっくり!!修学旅行-

朝鮮修学旅行インタビュー 朝鮮修学旅行インタビュー

修学旅行に関する展示関係

■資料提供:一橋大学附属図書館 様

企画展示「平成二十四年度 一橋大学附属図書館【旅する高商生たち -明治・大正期の修学旅行報告書】」のパンフレット (全ページ PDF  (945KB)

主催:一橋大学附属図書館
展示場所:一橋大学附属図書館 公開展示室
展示期間:2012年11月1日(木)~16日(金)
※開室時間:9時30分~17時(11月10日・11日は閉室)

<パンフレットの各ページについて> ※一文を抜粋。詳細はPDFに記載。
○東京高商の修学旅行制度
一橋大学の前身である高等商業学校と東京高等商業学校の際、修学旅行制度が高等商業学校に導入されたのは明治21(1888)年度の事である。
○初期修学旅行
初期修学旅行は、次の3点を特徴とする。※初期修学旅行一覧表も掲載。
○視察から調査へ
視察先は複数の道府県を周遊する形から、1都府県、多くても2府県に密着する形に変わった。
○海外での調査
明治30年代に入ると、修学旅行は海外でも実施されるようになった。
○報告書の出版
明治32年から大正にかけ、43点の修学旅行報告書が出版された。
○栴檀は双葉より芳し
修学旅行に選抜された学生の大半は卒業後実業界へ進んだが、9名は母校で教鞭を執る道を選んだ。
○その他の学生調査報告書
一橋大学附属図書館は、これまで紹介してきた修学旅行報告書の他にも幾種類かの学生調査報告書を所蔵している。

修学旅行に関する資料

■長野県 1901年(明治34年) 資料提供:長野県 西路優佳様

1901(明治34)年に長野県岡谷市の岡谷尋常高等小学校にて行われた修学旅行に参加された濱 康富さんの日記をご親族の方から提供いただきました。

日記の修学旅行に関する部分を掲載しております。


 

岡谷尋常高等小学校における修学旅行が初めて実施されたのは、明治32年(1989年)である。〔岡谷小学校100年史より〕

当時修学旅行は隔年で行われていたため、以下に概要を示す修学旅行は第二回目に当たる。

修学旅行記 PDF  (906KB)

<期間>       1901(明治34)年10月23日~27日       4泊5日

 

<行き先>     直江津、長野、松本

 

<行程>

1日目        午前6時30分 岡谷学校出発(徒歩)~和田峠 休憩~和田着 昼食

                 ~長久保 休憩~午後6時20分 上丸子着 翠川旅館泊

 

2日目       午前2時40分起床 午前4時 翠川旅館出発(徒歩)~午前5時5分 大屋着

                ~午前7時50分(始発汽車)~午前9時5分 長野駅停車~直江津着

                ~五智国分寺参拝 日本海 古川屋にて昼食 石油会社見学

 ~午後6時40分 直江津出発(汽車)~午後9時5分 長野市着 五明館泊

 

3日目       午前6時起床 五明館出発(徒歩)

    ~長野師範学校運動会参加 長野中学校 監獄署 長野県会議事院 長野病院   

       停車場内工場見学 城山にて昼食

    ~善光寺参拝 長野市役所 師範学校付属小学校 師範学校見学

    ~午後5時 五明館着泊

 

4日目       午前6時50分(始発汽車)~午前8時35分 西條着下車~立峠 昼食

                ~午後0時5分 曾田学校 休憩~川谷原峠 休憩

   ~午後5時50分 松本着 川口屋泊

 

5日目       午前5時起床 午前6時40分 川口屋出発(徒歩)

   ~松本城址 監獄署 鉄道工事など見学~諏訪明神社 休憩~寿小学校にて昼食

   ~片丘村 休憩~午後1時30分 塩尻学校見学 休憩

   ~午後4時10分 塩尻峠 休憩~午後5時 岡谷学校着