思い出の修学旅行
修学旅行専用電車
■修学旅行専用電車「ひので号」
昭和34年(1959年)に登場した、東京都中学校連合の計画輸送による修学旅行専用車両。
※写真資料提供:交通博物館

[交通博物館]
(2006年5月をもって閉館、2007年10月14日に
新しく「鉄道博物館」としてオープンします。)
〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-25
TEL03-3251-8481(代) FAX03-3251-8489
URL http://www.kouhaku.or.jp/
●開館時間:9時30分〜17時(入館は16時30分まで)
●休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は開館し、
火曜日休館)、年末年始(12月29日〜1月2日)
●入館料:大人310円、小人150円(小人は4才以上、中学生まで) (但し、20名以上の団体は、大人250円、小人120円(小人は3才以上)。団体は要予約。
●交通:JR秋葉原駅(電気街口)より徒歩4分、同御茶ノ水(聖橋口)・神田駅(北口)より徒歩6分、
東京地下鉄丸ノ内線・淡路町駅(A3・5出口)より徒歩4分、同銀座線・神田駅(6番出口)より徒歩4分、
同千代田線・新御茶ノ水駅(B2出口)より徒歩7分、同日比谷線・秋葉原駅(5番出口)より徒歩10分、
都営地下鉄新宿線・小川町駅(A3・5出口)より徒歩4分
■修学旅行専用電車「なかよし号」
中国地区の小学校修学旅行で活躍した修学旅行電車。
167系修学旅行用電車「なかよし号」前頭部(実物大複製)
※写真資料提供:交通博物館

修学旅行専用列車について
→全国 修学旅行専用列車の変遷 [PDF/12KB]
明治時代の修学旅行は、徒歩旅行が主流で、宿舎には寺院や学校が当てられた。
いわば軍隊式の行軍の形態が多かった。
その後は鉄道を利用し、旅館に泊まる形をとるようになった。
第二次大戦中の中断はあったが、学習指導要領の特別活動の中に
学校行事として位置づけられ、今日に至っている。
世界に類例のない日本の修学旅行(百余年の歴史がある)を支えてきたものは、
大量の人員を輸送する運輸機関(鉄道、船舶、バス等)であり、旅館であった。
最近では、これらに加えて航空機、ホテル、民宿なども利用するようになった。
しかし、現在でも主流は鉄道と旅館となっている。
修学旅行は、同時に大勢の児童生徒を、安全・迅速・低廉に輸送する交通機関を必要とする。
そのため、明治以来鉄道が不可欠の輸送機関となっている。
学旅行臨時列車は、戦前から小学生の伊勢参りを始め、各地の国鉄・私鉄で運転された。
東京の小学校などは計画輸送も行われ、運賃は大幅に割引されていた。
戦後間もなく修学旅行が復活し、旅行業者の企画する東京〜日光間の日光臨、
東京〜京都間の関西臨など、いわゆる「引き回し臨時列車」が次々と誕生した。
さらに、同日・同区間利用の学校が同乗する「集約臨時列車」の運転が行われた。
その運行のねらいは、定期列車に修学旅行生が乗り一般の旅行客に迷惑をかけないためであった。
当時の鉄道は車両、スピードともに決して良い環境とはいえなかった。
昭和34年、東京都中学校連合の「ひので号」、京阪神三市中学校連合の「きぼう号」が誕生した。
これが計画輸送の修学旅行専用の車両を新造した最初である。
この修学旅行専用電車は、海側6人、山側4人のボックスで、飲料水タンクを搭載し、
トイレなども完備した画期的な設備を持っていた。
スピードは特急並みで、東海道本線を往路昼行、
復路夜行のパターンで、春、夏、秋にかけてフル運転を行った。
続いて東海三県中学校連合の「こまどり号」、近鉄では小学校連合の「あおぞら号」、
東海道本線には関東中学校連合の「わかくさ号」、近畿地区中学校連合の「わかば号」、
山陽本線の電化に伴って、中国地区の「わこうど号(高校)」「ゆうじょう号(中学)」
「なかよし号(小学)」に加えて、九州中学校連合の気動車「とびうめ号」、
東北中学校連合の「おもいで号」、さらに関西汽船では、修学旅行専用船「わかば丸」「ふたば丸」等、
各地で修学旅行専用の車両や船が昭和40年代前半にかけて続々と誕生した。
しかし、新幹線の利用を機に、専用車両、専用船は次々にその姿を消していった。
現在まで存続しているのは、近畿・東海地区小学生の伊勢方面修学旅行専用電車として、
平成元年秋に登場した近鉄の「あおぞらU世号」のみで、
愛称やユニークな専用車両は
いずれもその役目を終えて引退した。
(財団法人全国修学旅行研究協会発刊「修学旅行総覧-新しい修学旅行-」より抜粋)

